ユダヤ人の起源とシオニズムの歴史。ロスチャイルドの関与と通説を覆す衝撃の説

前回の記事では、イスラエルによるヨルダン川西岸地区の併合計画についてお話しました。

イスラエル、ヨルダン川西岸地区併合計画実行宣言

 

今回は、根深い問題でもあるパレスチナ問題について理解を深めるためにも、そもそもシオニズムとは何なのかということを歴史から整理し、イスラエルとパレスチナのお互いの領有権の主張の内容をみて、どちらの主張に正当性があるのかという話に展開していきたいと思います。

 

また、この問題に関して、定説とされる歴史を覆すような、衝撃的な説もご紹介します。

 

動画版はこちら

シオニズムとは

 

まずシオニズムについて簡単に整理します。

 

史実によれば、ユダヤ人は紀元前まではイスラエル辺りに住んでいたのですが、西暦70年にローマ帝国の攻撃によってエルサレムが陥落し、それ以降にユダヤ人の離散が始まりました。

 

この離散を俗に、ディアスポラといいます。

 

イスラエルから離散したユダヤ人たちはアフリカや欧州、ロシアなどに流れ、流浪の民として長年生きてきたというのですが、7世紀以来はイスラム教のアラブ人たちがイスラエル辺りを支配し始め、ユダヤ人の代わりにその地を現代になるまで居住地としてきたということになっています。

 

しかし、19世紀頃に、主にロシアと欧州にいた流浪の民、ユダヤ人の間で、先祖の地へ帰ろうという運動が起こり始めます。

 

それがシオニズムです。

 

シオンとは、聖書にも記述がある、イスラエルのエルサレム地方の歴史的地名で、それがエルサレム神殿の丘の別名となり、のちにエルサレム全体、さらにイスラエル全体への形容詞ともなりました。

 

そのシオンに帰ろうという運動や主義をシオニズムと呼ぶようになりました。

 

1897年には第一回シオニスト会議がスイスのバーゼルで開かれ、いかにパレスチナへユダヤ人を入植させ、イスラエル建国へと繋げていくかということが話し合われました。

 

その建国に向けた動きが本格始動したのは、第一次世界大戦期にイギリスで表明されたバルフォア宣言からです。

その当時は今のイスラエルの領土はオスマン帝国の領域だったのですが、オスマン帝国を解体した後に、今のイスラエルの範囲、つまりパレスチナという地域にユダヤ人の居住地を建設するための支援をするという約束を、当時のイギリスの外務大臣、アーサー・バルフォアが宣言したのです。

 

その約束をシオニスト連盟に伝えるよう、バルフォアは第2代ロスチャイルド男爵、ライオネル・ウォルター・ロスチャイルドに依頼しました。このイギリス政府のシオニズム支持表明を、バルフォア宣言といいます。

第一次世界大戦でオスマン帝国が降伏した1918年からオスマン帝国の領域内にあったパレスチナはイギリスに占領統治されることになり、それ以降、同地へのユダヤ人の移住が本格的に始まります。

 

そして、その以前からパレスチナに元々住んでいたアラブ人、つまりパレスチナ人と、移住組のユダヤ人との間で対立が起こり始めたのです。

 

第二次世界大戦後の1947年に国連でパレスチナ分割決議が出され、イギリスの委任統治を終わらせ、アラブ人とユダヤ人の国家を創出し、エルサレムを特別な都市とすることとなりました。

 

この案は、ユダヤ人側には受け入れられることになりましたが、アラブ諸国およびパレスチナの指導者たちには拒絶されました。

 

総会で決議が採択されるとすぐに内戦が勃発し、分割案は完全に実施されなかったのですが、イギリスのパレスチナ委任統治が完了する1948年5月14日にユダヤ人民評議会はユダヤ人国家の樹立を宣言、すなわちイスラエルの独立宣言をしました。

 

これに対しアラブ諸国は、パレスチナ人を支援するために、軍隊を動員し、独立宣言の翌日に、第一次中東戦争が起こります。

 

それはすぐに停戦となりますが、それ以来、イスラエルとイスラム系の国は対立を深め、第二次、第三次、第四次中東戦争を起こしていきます。

 

第三次中東戦争ではイスラエルの圧勝に終わり、エジプトからはシナイ半島とガザ地区を、ヨルダンからは東エルサレムを含むヨルダン川西岸を、シリアからはゴラン高原を奪取し、その後シナイ半島はエジプトに取り返されていますが、当初と比べると領土が拡大していることには変わりはありません。

この一連の争いでヨルダン川西岸地区からヨルダンなどの周辺国へ亡命するパレスチナ難民が増加することになります。

この図をみると、パレスチナ人の居住エリアがいかに減少していったのかが明白です。

 

出典:Palestine Portal

 

緑の部分がパレスチナ人の居住地域で、白の部分がユダヤ人の居住地域ですが、緑の部分が年を追うごとにどんどん減少し、今ではほんの少しの領域が点々としているだけであることが分かります。

さて、この領土争いはどちらに正当性があるのでしょうか。

 

ユダヤ史を覆す衝撃の説

 

これは、難しい問題で、解釈は様々ありますが、この問題を考えるにあたって、個人的に重要だと考えている、一つの見解をご紹介します。

それはイスラエルの歴史学者、シュロモー・サンド氏による見解で、同氏によれば、現代においてユダヤ人を自称する9割以上の人々の先祖は、聖書に書かれてある時代に今のイスラエルの周辺にいたわけではなく、7世紀から10世紀にかけて、現代のコーカサスとウクライナ辺りで栄えたハザール王国に由来するといいます。

 

ハザール王国の支配層が8世紀か9世紀頃に、ユダヤ教に改宗したというのは有名な話ですが、当時の住民はイスラム教徒が多かったと考えられており、どれだけ普及したのかは定かではありません。

 

10世紀にハザール王国はキエフ大公国によって滅ぼされ、その後ハザール人たちはドイツ語圏や東欧に流れるわけですが、今ユダヤ人とされている多くの先祖はユダヤ教に改宗したハザール人の末裔であるというのが定説で、彼らのことを俗に、アシュケナジムといいます。

シオニズム運動を支援するロスチャイルド家もまた、アシュケナジムであることは有名です。

ハザール王国の人々はどこから来た民族なのかはハッキリとしておらず、元々は騎馬民族のフン族だったという説が有力視されているようですが、メソポタミア文明のシュメール人の末裔という説もあります。

 

おそらく、その両方がいて、一部で混血も進んだのではないかと考えられますが、これに関する話を深掘りすると、非常に長くなるので今回は割愛します。

 

何にせよ、今イスラエルに住んでいるユダヤ人の先祖の多くは、ハザール王国で改宗したユダヤ人で、血族的には今のイスラエルとは縁もゆかりもないという説をシュロモー・サンド氏は強く主張しています。

 

更にサンド氏は、ユダヤ人がイスラエル建国の最大の根拠としてきた「紀元70年にローマ帝国によって父祖の地・パレスチナから追放されたことから始まった離散の歴史」、つまり、ディアスポラも史実ではないという衝撃的な見解を述べています。

 

では、追放されなかったユダヤ人はどうなったのでしょうか。

 

サンド氏によれば、アラブ人が7世紀以降に中東などを征服した後に、今のイスラエル周辺に住んでいた多くのユダヤ人はイスラム教に改宗しており、遺伝子的にアラブ人種に同化したというのですが、このイスラム教に改宗したユダヤ人たちの子孫が、今まさに、片隅に追いやられようとしているパレスチナ人だというのです。

これが本当であれば、歴史というものは本当に皮肉なものです。

 

以上のような主張をしているのはサンド氏だけでなく、ユダヤ系ハンガリー人のアーサー・ケストラー氏なども『ユダヤ人とは誰か』という著書で、自身がアシュケナジー系のユダヤ人でありながら、アシュケナジー系のユダヤ人のルーツはユダヤ教に改宗したハザール人であると主張しています。

 

また、カナダの歴史学者で、モントリオール大学教授のヤコヴ・ラブキン氏は、敬虔なユダヤ教徒でありつつ、著書『トーラーの名において』の中で、シオニズム自体が、伝統的なユダヤ教の教義にいかに反するのかということを論理的に論じています。

 

 

その著書は、オスマン帝国時代からイスラム教徒とキリスト教徒とユダヤ教徒はパレスチナで平和的に共存しており、19世紀末からのシオニストの到来に対して、それ以前から聖地に居住するユダヤ教徒の大半は快く思わず、ユダヤ教の教義に反するとして、シオニズムに抵抗していたということを明らかにしています。

 

また、メシアの到来以前にパレスチナへ集団で帰還することがユダヤ教の教えでは、禁忌の対象になっていることなどを挙げて、多くの敬虔なラビが、シオニストを批判してきた歴史も明らかにしています。

 

つまり、シオニズムに反することが反ユダヤ主義のようにいわれることがありますが、シオニズムこそが反ユダヤ主義になるということが明らかにされているのです。

 

このように、ユダヤ人の間でもシオニズムに反対する声は少なくないということをみたうえで、パレスチナ問題をみたほうがいいでしょう。

 

これを以て、シオニズムが絶対の悪とは言いませんが、もともと住んでいたのは私たちだから領有権は私たちにあるという理論は、歴史的に通用しない可能性があるということと、そういった動きが聖書の教えに反することを念頭に置く必要があると思います。

 

さて、今回はイスラエルの歴史の話に終始しましたが、次回はアラブ人とシオニストの対立によって勃発するという第三次世界大戦の予言の話をしたいと思います。

 

それはフリーメイソンの黒い教皇、アルバート・パイクによって1871年に予言されたということになっていますが、その予言の内容は第一次と第二次世界大戦の内容を言い当てており、「第三次世界大戦」に関する内容も、まるで今の中東情勢を言い当てているかのような内容です。

 

有名な予言というか、計画書ではありますが、今回取り上げたシオニズムともかかわってきますし、昨今の世界情勢を見ると、第三次世界大戦が、勃発する可能性が高まってきているようにみえるので、取り上げる必要があると感じました。

 

これを知ることでNWOの根底にある、彼らの思想がわかると思います。私たちはその思想と彼らの戦略に、どう向き合っていけばいいのかという話もしたいと思います。

 

さて、今回はこれで終わりにします。

 

今回も最後までご覧頂きありがとうございました。

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