今回は内閣府が掲げている「ムーンショット目標」についてお話します。
ムーンショット目標とは、今年の1月に内閣府が開催した「48回 総合科学技術・イノベーション会議」にて超高齢化社会などの社会課題に対して設定された目標のことです。
この会議で、「Human Well-being(人々の幸福)」を目指し、その基盤となる社会・環境・経済の諸課題を解決するために、6つのムーンショット目標を掲げました。
内閣府がどのような未来を描いているのかを見ていきましょう。
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ムーンショットとは
その前にまずムーンショットとは何かというと、米国のアポロ計画におけるジョン・F・ケネディ大統領によるスピーチの「1960年代が終わる前に月面に人類を着陸させ、無事に地球に帰還させる」という言葉が由来とされています。
転じて、ムーンショットは、未来社会を展望し、困難ではあるが、実現すれば大きなインパクトを社会にもたらす壮大な目標や挑戦を意味する言葉として使われるようになりました。近年では国家だけでなく、Googleなどの先進的な企業においても企業戦略としてムーンショットという言葉を使います。
それを内閣府も使って、新しいプロジェクトを「ムーンショット目標」と名付けたのです。そもそもは「ムーンショット型研究開発制度」が2018年に創設されたことから始まり、予算は2018年度補正予算において5年間で1000億円が盛り込まれ、その予算をもとに内閣府、文部科学省、経済産業省が一体となって推進するとしています。
世界から尊敬・信頼される科学技術立国日本の復活を目指すというわけですが、具体的にどのような未来を目指しているのでしょうか。
6つの目標
内閣府が掲げた6つの目標はこの通りです。
1.2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現 ムーンショット目標1
2.2050年までに、超早期に疾患の予測・予防をすることができる社会を実現 ムーンショット目標2
3.2050年までに、AIとロボットの共進化により、自ら学習・行動し人と共生するロボットを実現 ムーンショット目標3
4.2050年までに、地球環境再生に向けた持続可能な資源循環を実現 ムーンショット目標4
5.2050年までに、未利用の生物機能等のフル活用により、地球規模でムリ・ムダのない持続的な食料供給産業を創出 ムーンショット目標5
6.2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現 ムーンショット目標6
サイバネテック・アバターとは
まず最初の「人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会」とは一体何を指すのでしょうか。
内閣府は第一目標の詳細をこのように説明しています。
・2050年までに、複数の人が遠隔操作する多数のアバターとロボットを組み合わせることによって、大規模で複雑なタスクを実行するための技術を開発し、その運用等に必要な基盤を構築する。
・2030年までに、1つのタスクに対して、1人で10体以上のアバターを、アバター1体の場合と同等の速度、精度で操作できる技術を開発し、その運用等に必要な基盤を構築する。
アバターとは内閣府の説明によると、サイバネティック・アバターのことであり、自分の身代わりとしてのロボットや3D映像等を示すアバターに加えて、人の身体的能力、認知能力及び知覚能力を拡張する技術を含む概念といいます。
内閣府の資料にある上の絵のように、身体と機械を融合させることで、人間の限界を超えるほどの身体能力を獲得したり、ロボットの遠隔操作によって空間と時間の制約を超えた活動を実現させることが狙いだと考えられます。
これには、超高齢化社会における諸問題を解決するという狙いがあるとされています。
身体の一部をサイボーグ化することで、例えば、何百キロの重量のものも軽々と持ち上げたり、ロボットを遠隔操作することで、その場にいなくても社会活動に参画することができます。
また、「1人で10体以上のアバターを操作する技術を開発する」とありますが、一人が同時に10以上のアバターの遠隔操作をこなすことは、それこそ人間の限界を超えることなので、普通に考えたら不可能に思えます。
しかし、自分の脳情報をロボットにインストールすることで、自分の代わりに半自動的に活動してくれるロボットを複数同時に運用するということは技術的に可能でしょう。
脳データをクラウド上にアップロード
そんなSF映画のような話があり得るのかと疑う人もいるでしょうが、アメリカのベンチャー企業Nectomeは人間の脳を生存している状態で取り出し、将来コンピューターに脳の記憶がアップロード可能になるまで保存液に浸して、長期冷凍保存するというサービスを2018年に発表しています。
サービスを発表した段階で既に、豚を使った実験で脳のデータ保存に成功しており、シナプスも完璧に確認できているといいます。人間向けのサービスとしては、2024年以降に開始するとしています。
また、スウェーデンのBioNyfikenというテクノロジー集団も脳にマイクロチップを埋め込むことで、記憶をクラウド上にアップロードしたり、ダウンロードできるとしています。自分の目に映っているものをデジタル処理することで、映像データとしてクラウドにアップロードすることができるので、他の誰かに自分が見聞きした情報をそのまま伝えることができるというのです。
このBioNyfikenは「やりすぎ都市伝説」でも取材されており、関暁夫氏は番組の密着取材を通じて、団体のメンバーに誘われ、加入したということを明らかにしています。
関暁夫氏によると、そのマイクロチップを脳内に入れることで、精神や意識さえもクラウド上にアップロードすることができ、それをコンピューターにインストールすることで、デジタル人格を持った人工知能ができるといいます。つまり、自分自身の人格をコピー&ペーストができるということです。
同氏によれば、肉体さえも必要のない世界が間もなく訪れるそうです。まるで攻殻機動隊のような話です。
肉体を捨てたデジタルの自分。それは果たして、本当に自分なのか、魂はどうなるのかという問題が残りますが、技術的にデジタル人格を実現させることが可能になりつつあるのは間違いなく、それを日本でも実現させることを内閣府は暗示しているのではないかと考えられます。
その証拠に下の図の右上のほうには人の脳の中に「AI」の文字があります。
また、3つ目のムーンショット目標の詳細では人と同じ感性を持つロボットが人生に寄り添って一緒に成長するとありますから、デジタル人格を持ったロボットの開発を目指しているとしか考えられません。
VR導入の可能性
また、ここでは触れられていませんが、VR技術を導入することも狙っているとみていいでしょう。VRゴーグルを通して、仮想世界でもリモートワークする時代になるでしょうし、コロナショックによって遠隔教育も広がっていくと考えられるので、仮想世界上にある学校に子どもたちが集まって、教育を受けるという未来も考えられます。
つまり、VRによって「その場にいなくても誰もが多様な活動に参画できる社会」を実現させることが可能なわけです。
VRが大衆に広く受け入れられるかどうかはまだ分かりませんが、ムーンショット目標を実現させるためには最適なツールだと思われるので、内閣府がそれを無視するとは考えにくいです。
2020年に発表した内閣府のムーンショット目標にはVRに関する言及は見当たりませんが、2019年のビジョナリー会議におけるミッション目標例の「2040年までに建設工事の完全無人化を実現」という項目で、VRによる遠隔操作のことを言及しているので、VRの使用を考えていることは間違いないです。
広く発表したムーンショット目標では国民に反発されないように、あえてまだVRの使用に関して明言していないだけだと考えることもできます。
スマホのように広く普及するかは分かりませんが、VRは今後様々な場面で使われるようになるでしょう。例えば、ネットショッピングにおいても、VR上の自分の等身大のアバターで服を試着することも可能なので、お買い物のためにわざわざ外に出かける必要がなくなります。
他にも、海外旅行の疑似体験もVRで可能になるでしょう。
逆にVR上にいながら、現実世界で脳にマイクロチップを入れている人の身体を自分の身体のように自由に動かせるようになるともいいます。
例えば、仮想世界にいるときにお腹が減ったら、ログアウトすることなく、仮想世界から現実世界の自分に指示を与えることができ、身体を操作することで、ご飯も食べることができるということになります。
おかしな話ではありますが、VRが普及し、社会への定着度が高まれば高まるほど、映画のマトリックスのような世界に近づいていくと考えられます。仕事も勉強もプライベートもVRで完結させることができるので、現実世界に嫌気がさして、VRに生きがいを求める人も出てくるでしょう。
逆にVRを毛嫌いする人も少なからずいるはずなので、完全VR派とアンチVR派と適度にVR派で分かれていくのかもしれません。
このように、内閣府はムーンショット計画を通して、「自身のサイボーグ化」「ロボットの遠隔操作」「デジタル人格を持ったロボットの開発」「VR世界の拡大」を狙っていると考えられるのですが、果たしてそれは、人類が待ち望んでいるユートピアなのでしょうか。
持続可能な社会
さて、ムーンショット目標は人間の可能性を拡大するだけではなく、持続可能な社会をつくることも大きなテーマになっています。
ムーンショット目標の4つ目には「地球環境再生に向けた持続可能な資源循環を実現 」が5つ目には「未利用の生物機能等のフル活用により、地球規模でムリ・ムダのない持続的な食料供給産業を創出」が掲げられていることからもそれは明らかです。
この辺りは国連の持続可能な開発目標であるSDGsに則っているとみていいでしょう。
ここでは詳細には触れませんが、気になる方は内閣府のページを概要欄に貼っておくので、見てみてください。簡単に言うと、人工知能で自然を管理することで、無駄のない持続可能な社会を築くとしています。
ムーンショットの狙いを、人工知能による徹底した管理社会を築くことと言ってもいいでしょう。
つまり、人工知能による計画的かつエコフレンドリーな社会です。
地球環境の破壊を止められるのは、もはや人工知能しかないという名目で徹底した管理社会が築かれることも考えられます。
しかし、本当に人工知能がないと持続可能な社会は築けないのでしょうか。
私は一人一人の意識が変わることが何よりの解決法だと思います。一人一人が足るを知り、倹約を心がければ、大量消費社会に歯止めをかけることができます。そうすれば大量生産もなくなり、環境破壊に繋がる経済活動は収まるわけです。
今回のコロナショックによって経済活動が停滞することで、大気が綺麗になりましたが、経済活動がまた元通りになれば、大気はまた汚染されていきます。大規模農業やメガソーラーパネル設置のために森林破壊したり、資源のために地中や山を掘っていきます。
そういった環境破壊に繋がる経済活動に歯止めをかけることをせずに、人工知能によってのみ持続可能な社会を築こうというのは、臭い物に蓋をするようなことに思えてなりません。
確かに人工知能はこれから最も重要な技術と言っても過言ではありません。
しかし、人間の心を変えることなくして、人工知能だけで問題を解決しようというのは根本的な解決にはならないと思います。みんなの幸せのためには経済発展し続けなければならないという幻想が世界に蔓延っていますが、発展すればするほど地球環境を破壊することに気づく必要があります。
また、物質的な豊かさを求めれば求めるほど、精神的な豊かさが失われていきます。
物質的な豊かさを追い求めつつ、人工知能で制御するというのは無理があるのではないかと私は思います。
また、少子高齢社会の問題を解決したり、地球の環境を守るためという名目で、マイクロチップの挿入が促されたり、人工知能による徹底した管理社会が築かれる可能性に対して、懸念を抱かざるを得ません。
トランスヒューマニズムと素晴らしい新世界
そう懸念するのはムーンショット計画で目指される未来が、欧米を中心に席巻する「トランスヒューマニズム」が目指す方向とほとんど同じだからです。
トランスヒューマニストも新しい科学技術を用いることで、人間の身体と認知能力を進化させ、人間の限界を超えようという思想を持っています。
トランスヒューマニズムの究極の目標は、いつかは死にゆく運命の、肉体という生命の限界を超越するというものです。つまり、不老不死を目指しています。
そのために、脳内にマイクロチップを入れ、自身の意識をクラウド上にアップロードし、そのデジタル人格を、機械にインストールさせようというのです。
そうすれば、肉体の制約を超えた、不老不死のデジタル人間が出来上がります。
トランスヒューマニズム運動はピーター・ティールやマーク・ザッカーバーグなどのシリコンバレーの重鎮たちから資金の提供を受けるほどであり、関暁夫氏もトランスヒューマニズムの熱心な信奉者です。
日本にも日本トランスヒューマニスト協会という組織があります。
トランスヒューマニズム運動と内閣府の目指すムーンショット計画の間には直接的な関係は見えませんが、私は両者は繋がっていると見ています。
そして、世界のトランスヒューマニズム運動の実態を知ることで、今後の世界の流れが見えてくると思います。
トランスヒューマニズムの創始者とされるのは優生学に傾倒した生物学者で、ユネスコの初代総裁でもある、ジュリアン・ハクスリーです。その弟のオルダス・ハクスリーはSF小説『素晴らしい新世界』の著者として有名です。
『素晴らしい新世界』で描かれているのは、テクノクラート、つまり科学者や技術者の政治家、官僚たちの支配下に置かれた世界です。そこでは、人間は受精卵の段階から培養ビンの中で「製造」され、「選別」されることで、階級ごとに体格も知能も決定されます。
そして、子どもの時から徹底した洗脳教育が施され、階級制度で成り立つ社会に疑問を持たないように育てられます。
また、あらゆる予防接種を受けているため病気になる事は無く、60歳ぐらいで死ぬまで、ずっと老いずに若いままで、与えられた自由の中で満足して生きています。
しかし、結婚制度が廃止されているだけでなく、不妊処置を施されるので、子どもを授かることは許されません。
それさえも疑問を持たないように子どもの時から洗脳されるのです。
そして不快になった時は、政府から配給される快楽薬を飲むことで、楽しい気分になります。
つまり、洗脳と快楽によって大衆が支配される世界で、そこでは伝統と文化までもが管理下に置かれます。
この作品には人工知能は登場しませんが、テクノロジーによって人々は感性までも管理されています。強度な洗脳社会で、管理されていることに疑問すら抱かないので、争いも起こりません。
一見、すべてが秩序正しく、平和な社会に見えますが、社会全体は、底辺で生きるべく生み出された下層階級の人々の抑圧と貧苦のもとに成り立っているという世界です。
テクノロジーによって人間の進化を促すトランスヒューマニズムが目指す世界は、このようなディストピアなのかもしれません。
それを寓話という形でハクスリーは警鐘を鳴らしたとも考えられますが、驚くことにこの作品が発表されたのは戦前の1932年です。
ハクスリーの卓越した想像力によって書かれたのか、もしくは予測プログラミングの一環とも考えられます。
ハクスリーは人口削減論を真剣に語り合う優生学者たちが集まるフェビアン協会の一員でもあったので、物語を通して大衆に彼らの計画をちらつかせたとも考えられます。
また、ハクスリーが1962年にカリフォルニアのバークレーで行ったスピーチでは、薬理学的な方法や、プロパガンダによって大衆にマインドコントロールを施すことで、痛みのない強制収容所を生み出す一方で、大衆は自由を奪われるが、強度な洗脳によって、反抗したいという欲求すら起きず、むしろそれを楽しむ世界が実現することを予言しています。
そして、ハクスリーは、これを、最終的な革命と言っています。
近未来のディストピアを描いた作品として、ジョージ・オーウェルの1984年も有名です。そこでは、超監視社会の恐怖による全体主義的な世界が描かれている一方で、ハクスリーの『素晴らしい新世界』では、テクノロジーがもたらす洗脳と快楽によって支配される全体主義的な世界が描かれています。
作品は対極的ではありますが、方法論が違うだけで、大衆が抗うことができない絶対的な支配社会が描かれているということには変わりはありません。
かつてのソ連や現代の中国が1984年的な社会であるとするならば、戦後の日本は素晴らしい新世界的な社会とも言えます。
「右にならえ右の」洗脳的な教育、洗脳的な偏向報道を繰り返すマスメディア、そして、娯楽産業やテクノロジーなどがもたらす快楽によって、政治家や官僚たちがつくる社会に疑問を持たない人が、増えてしまったからです。
大袈裟に聞こえるかもしれませんが、オルダス・ハクスリーが描いた世界は既に実現されつつあるとも言えます。
その兄のジュリアン・ハクスリーはトランスヒューマニズムの提唱者で、弟と同じようにテクノロジーによる管理社会を構想していたと考えられるわけですが、現代におけるトランスヒューマニズムの構想もそれが基になっていると考えることができます。
トランスヒューマニズムを知ることで、支配層がつくろうとしている、社会の輪郭が見えてくると思います。
そこで、次回はトランスヒューマニズムの歴史と最新の動向に迫っていこうと思います。
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