日米合同委員会は陰謀論?誕生経緯を知ると納得する日本の支配構造

今回は日米合同委員会が生まれた経緯について調べたことをここにまとめていきます。一部では陰謀論扱いされていますが、アメリカの公文書にその存在の片鱗が見えているため決して陰謀論ではありません。日米合同委員会が生まれた当時の歴史背景を理解すればそのことが納得できるでしょう。

 

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そもそも日米合同委員会とは

 

日米合同委員会について簡単にまとめると、1952年に秘密裏に設立された高級米軍と日本のエリート官僚からなる組織(アメリカ側の代表は在日米軍司令部副司令官、日本側の代表は外務省北米局長)です。

 

この組織は具体的に何をしているのかというと、何十年にも渡って隔週の木曜日ごとに密会を開き、日米地位協定の運用や解釈について秘密協議を重ね、在日米軍の特権を維持するために数々の密約を生み出しています。

 

日米合同委員会の研究の第一人者の一人であるジャーナリストの吉田敏浩氏の表現を借りれば「米軍が戦後日本において占領期の特権をそのまま持ち続けるためのリモコン装置」ということになります。

 

日米合同委員会が生まれた経緯

 

日米合同委員会はアメリカ大使館がまだ存在しない占領期に出来上がりました。そこでの決定事項が絶対という異常な構造です。

 

どんな国でも本来であれば相手国の政府と最初に話し合うのは大使や公使といった外交官です。そしてそこでの決定事項を軍人などに伝える。それが「シヴィリアン・コントロール(文民統制)」と呼ばれる民主主義国家の大原則です。

 

しかし日本はそうではありません。米軍の軍人たちが日本の官僚と直接協議して指示を与えるという日米合同委員会のあり方は極めて異常です。この異常さについては面白いことにアメリカ側でも批判があり、アメリカの外交官が批判している例が過去に何度もあります。例えばアメリカのスナイダー駐日主席公使は日米合同委員会という組織について「きわめて異常なものです」と上司の駐日大使に報告しています。

 

このように当のアメリカの外交官にさえ「占領期に出来上がった異常な関係」といわれてしまう日米合同委員会とはいったいなぜ生まれたのでしょうか?

 

歴史を遡れば元々1950年初頭の段階でアメリカの軍部は日本を独立させることに全体反対の立場をとっていました。なぜならすでにアメリカとソ連や中国との間で冷戦が始まりつつあり、日本を反共の砦にするためにも占領状態を継続していた方が都合が良かったのです。そんなアメリカ軍部の思惑とは別にアメリカ政府は日本を独立させたがっていました。

 

そこでアメリカ政府側が思いついた妙案とは、「政治と経済については日本との間に正常化協定を結び表向き独立させるが、軍事面では占領体制をそのまま継続する」というものでした。これは実際にバターワース極東担当国務次官補が軍部を説得するために出した案で、このことは1950118日付のアメリカ外交文書にも記載されている事実です。

 

そのためサンフランシスコ講和条約で表向きは占領が終わりましたが、在日米軍の法的地位は変わらず、軍事面ではそのまま占領体制が継続したのです。

 

いわば「半分主権国」として日本は国際社会に復帰し、それが形を変えることなく今に至るのです。その真の日本の姿を日本国民に隠しながら、その体制を継続させていくための政治的装置が1952年に発足した日米合同委員会です。

 

日本の対米従属の根本にある法的従属関係

 

日米合同委員会での決定事項は国会の承認を必要とせず、一般公開されることもありません。基本的に50年経過すると公になるアメリカの秘密文書でしかその存在の片鱗を見ることができないのです。

 

日本では対米従属の政府のあり方がよく批判の対象になりますが、それは「政治」や「経済」面だけの話です。私たち日本人がこれから克服していく必要がある最大の課題は対米従属の根幹にある軍事面での法的な従属関係です。

 

それはアメリカへの従属というよりも米軍への従属であり、その核となるのが日米合同委員会なのです。

 

日米合同委員会を通して作られてきた日米地位協定や密約(基地使用権や治外法権等)などの米軍が持つ巨大な特権をなくさない限りは、辺野古移設は変わらないですし、横田空域や岩国空域など日本上空を支配されているという事態は変わりません。つまり日米合同委員会の改廃をしない限り日本の真の独立はありえないでしょう。

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