北里柴三郎、津田梅子、渋沢栄一とフリーメイソンの関係性

2024年(令和6年)に新紙幣が発行されることが決まりました。千円札は世界で初めて血清療法を開発した「日本の細菌学の父」北里柴三郎。五千円札は6歳にして「岩倉使節団」に加わり、現津田塾大を設立した津田梅子。一万円は「資本主義の父」とも呼ばれる中央銀行など500社以上を設立し明治期の日本発展に大いに貢献した渋沢栄一。

 

さて、本題となるのが、これら新札の顔ぶれはなぜ選ばれたのかということです。よくいわれるのが日本札の顔ぶれは、世界的秘密結社「フリーメイソン」と関わりの深い人物が選ばれるということです。

 

「フリーメイソン」やその上部組織「イルミナティ」は世界を裏で牛耳っているといわれ、世界的大財閥の金融王のロスチャイルド家や石油王のロックフェラー家などの貴族が関わっている組織です。

 

果たして今回の顔ぶれはフリーメイソンと関係があるのでしょうか。その真相に迫ります。

 

フリーメイソンと盟友の北里柴三郎

 

北里柴三郎といえば今の千円札の顔の野口英世の師に当たる人物で、ドイツ留学中に世界で初めて破傷風菌だけを取り出す「破傷風菌純粋培養法」を開発し (1889年)、菌体を少量ずつ動物に注射しながら血清中に抗体を生み出すという当時では画期的な感染病の予防法「血清療法」を開発しました(1890年)。その偉大さから「日本の細菌学の父」とも呼ばれています。

 

ドイツからの帰国後は福沢諭吉の援助によって伝染病研究所が設立され、柴三郎はその初代所長になりました。その後香港で流行っていたペスト菌を発見するという業績もあげ、新たに私費で設立した私立北里研究所(現・社団法人北里研究所。北里大学の母体)では、狂犬病、インフルエンザ、赤痢、発疹チフスなどの血清開発に取り組みました。

 

福沢諭吉の没後は諭吉の恩義に報いるために柴三郎は1917年に慶應義塾大学の医学部を設立し、初代医学部長と付属病院長になりました。そこからは終生無給で慶應義塾の医学部の発展に貢献したのです。

 

その後1923年に現在まで続く「日本医師会」を設立、初代会長として運営に当たりました。日本医師会は任意団体ですが、現在は会員数約16万5千人と全医師の約6割強が所属しています。

 

以上が柴三郎の経歴の概略ですが、その偉大さからか、研究に失敗したままこの世を去った野口英世より北里柴三郎の方が千円札の顔に相応しいとずっと言われていたほどです。

 

さてお札の顔になったことでフリーメイソンと関係があるのではないかという憶測が絶えません。

 

ではその関係性を探ってみましょう。

 

まず北里柴三郎がフリーメイソンに入っていたという記録はありません。しかし、フリーメイソンであったとされる後藤新平(台湾総督府民政長官。満鉄初代総裁等)と盟友関係にあったことが知られています。

 

後藤新平

 

後藤新平は33歳の時(1890年)、欧米の先進地を見るべく自費でドイツへ留学しました。その目的地はツベルクリンの発見者コッホの研究所。そこでは北里柴三郎が助手として働いていたのです。

 

北里柴三郎と後藤新平は元から面識があったのですが、あまり仲が良くなかったようです。しかし喧嘩を通じてお互いは盟友へとなっていきます。

 

柴三郎が伝染病研究所をつくるときは後藤新平の口利きのおかげでそのための土地を手に入れることができました。

 

では柴三郎の盟友となった後藤新平はどのような経緯でフリーメイソンとなったのか。

 

国際政治研究家の中田安彦によれば、後藤新平がドイツ留学中、第5回万国赤十字会議(1892年)で日本赤十字社委員として出席するまでにフリーメイソンリーの一員として迎え入れられていたようです。

 

中田安彦は以下のことを述べています。

 

「後藤が赤十字という国際結社を通じてフリーメイソンに入会し、その後、日本を代表する“黒幕”として時の権力者に献策を続け、それが時には成功し、時には失敗した」

 

そしてボーイスカウト運動はフリーメイソンとの関係が深いのですが、後藤新平が「少年団日本連盟」(現在の財団法人ボーイスカウト日本連盟)の初代総裁となったのも、フリーメイソンだったからこそと断言しています。

 

そのフリーメイソンだった後藤新平と盟友であった北里柴三郎も何かしらフリーメイソンと関係があったのかもしれません。

 

北里とメイソンとの明確な繋がりは見えないのですが、ではなぜ北里が新札の顔に選ばれたのかということを陰謀論的憶測からいうと、やはり野口英世と同様で、フリーメイソンの重鎮かつ石油王のロックフェラー家などが薬の利権を持っていることと関係して「西洋医学」の発展に貢献したことが大きいといえます。

 

北里柴三郎が開発した破傷風の血清療法は、その後の破傷風、ジフテリアのワクチン開発につながり、世界中で医療に役立てられるようになりました。

 

しかしそのワクチンが予防になり人の命を守るのに役立っているとは言い切れません。ワクチンに対して警鐘を鳴らしている医者は最近増えてきていますし、「薬を使わない薬剤師」として有名な宇多川久美子さんは以下のことを述べています。

 

ワクチンに残留している水銀は、神経毒として知られていますし、アルミニウムは骨髄、脳の変性を起こす可能性が指摘されていますし、防腐のためのホルムアルデヒドは発ガン性がいわれています。(引用元:るいネット「薬は石油から合成されているものが多いという事実」

 

このように西洋医学そのものに対して危惧する声は年々高まってきているように思えますが、西洋薬の大半が石油から出来ており、その石油の利権はロックフェラー家などの巨大財閥が持っており、彼らが「西洋医学」をつくってきたことを考えると、あながち西洋医学を危険視する声は間違っていないのかもしれません。これ以上深い入りすることは危険ですのでやめておきます…。

 

まとめると、北里柴三郎が新札の顔に選ばれた理由は「西洋医学の発展に貢献したこと」と「フリーメイソンとの盟友関係」が挙げられます。

 

フリーメイソンの援助があった「岩倉使節団」に随行した津田梅子

 

津田梅子は6歳のときに「岩倉使節団」に随行し渡米しました(1871年)。その後10数年アメリカで過ごし、ラテン語、フランス語などの語学や英文学のほか、自然科学や心理学、芸術などを学びました。

 

その後帰国したものの、再び留学し、生物学を専攻しました。この時に日本の女性教育に関心を持つようになったと言われています。

 

専攻は終わり帰国後はいくつかの女学校で教師を勤めたのち、1900年に「女子英学塾」(現在の津田塾大学)を東京麹町区に開校し、塾長となり、華族だけでなく平民も受けれるような女子教育を志ざして、一般女子の教育を始めました。

 

さて、その津田梅子とフリーメイソンの関係性ですが、まず注目すべきは「岩倉使節団」に随行したことでしょう。

 

岩倉使節団:左から木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通

 

岩倉使節団は総勢107名もいました。それだけの人数を外遊させるには相当な金がかかったことでしょう。しかし、当時明治政府にはお金がありませんでした。誰かが出資しないことには岩倉使節団はあり得ません。

 

では誰が出資したのか?それはトーマス・ブレーク・グラバーと言われています。前回の記事でもご紹介しましたが、グラバーはフリーメイソンの重鎮、ロスチャイルド家の出先機関「マセソン商会」(中国にアヘンを売り込みアヘン戦争をもたらした死の商会)の代理人として明治維新を裏で動かした人物です。

 

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坂本龍馬を通して薩長同盟を組ませたのもグラバーでしたし、薩長に大量の銃を売って幕府転覆をけしかけたのもグラバーでした。坂本龍馬はその間の仲介人に過ぎません。

 

左:岩崎弥太郎 右:トーマス・ブレーク・グラバー

 

ロスチャイルド家の代理人として明治維新期の日本で暗躍したグラバーは岩倉使節団にも投資をした可能性があります。ただしグラバーもまた借金をして日本で興した会社を倒産させているので、他の誰かの可能性もあります。日本国内にはそのお金がなかったので外国人しかいません。その当時はフルベッキやアーネストサトウなどを通して様々な外国勢力が暗躍していたため、そのうちの一つの勢力がそうしたのでしょう。大元を辿れば結局はロスチャイルド家に当たる可能性が高いです。

 

そしてそのお金の配分は公家の岩倉具視が決めていたのです。

 

使節46名、随員18名、留学生43名が参加しましたが、彼らはほぼ全て出世コースを歩んでいます。

 

例を挙げると、

  • 伊藤博文→初代内閣総理大臣
  • 木戸孝允→第2代 文部卿
  • 大久保利通→初代 内務卿
  • 山口尚芳→元老院幹事

このように主要メンバーは政治の中枢に上り詰めました。

 

それだけではなく、岩倉使節団に随行した他のメンバーも以下のような役職に就いています。

 

維新史料編纂委員、内務省出仕翻訳事務局御用掛、東京日日新聞社長、初代帝国大学総長、司法省民事局長、清露英全権公使大使、外務省通商局長、国史編纂、大阪株取引所頭取、県令知事、皇室の養育掛長、初代警視総監、外国事務総督、司法大臣、大学設立、天皇親政運動、教育制度改革、日海軍機技総監、生命保険会社社長、東京砲兵工廠長、文部省医務局長、福岡県令、北海道庁長官、各県知事、農商務省工務局長、文部大書記官、文部司法官僚、貴族院勅選議員、文部官僚、日本近代製鉄の父、税務局長、自由民権運動、皇典講究所所長、宮中御歌所寄人、帝室編纂局総裁、三井財閥総裁、公使、大使、大臣、ハワイ国領事、女子英学塾、チャリティー企画やボランティア活動、音楽教育、鉄道会社、長崎造船所所長、商法講習所、銀行支配人、神社合祀、キリスト教布教、大学設立、宮中顧問官、朝鮮総督府政務総監、日本鉄道社長、宮内次官、初代日銀総裁、教育行政

(引用元:Space peace あなたに宇宙平和「岩倉使節団の意味するもの」)

 

カテゴライズすると「メディア」「教育」「司法」「官僚」「保険」「軍」「公共交通機関」「金融」「芸術」などなど、いわゆる西欧式の社会システムそのものです。

 

外国からの投資は西欧式の社会システムを構築するためにこそあり、そのために岩倉具視が采配を振るったのでした。現代の官僚社会の礎はここで築かれ、その支配体制は今も続いています。日本最初の国葬が岩倉具視だったのも彼が当時の日本のトップだったことを暗示しているかのようです。

 

ちなみにそのやり方は現在でも続いています。日本の官僚たちを英米に留学させて、彼らの考え方を学ばせるとともにその国の政治家、有力者とのパイプを作らせる。それが日本に帰った時の力となり、外国からすれば、日本における楔となります。その留学経験のある官僚が日本を実効支配しているという構図は21世紀の現代でも変わりません。

 

その官僚の裏にいるのが巨大財閥のロスチャイルドやロックフェラー家と言われ、いわゆるフリーメイソンの大重鎮が見え隠れしているわけです。

 

様々な国の社会システムそのものを作り、通貨発行権を握る彼らは「岩倉使節団」を通して日本社会を実効支配しようとしたのかもしれません。

 

その中にいたのが津田梅子です。

 

彼女自身フリーメイソンであるという証拠はありませんが、明治維新を裏で動かした外国勢力と近い岩倉具視が率いる岩倉使節団に随行したということは見逃せません。

 

また、津田梅子が新札の顔に選ばれた理由としては、樋口一葉と同様で「女性の社会進出」の象徴になるからだと思われます。フリーメイソンの思想として人口削減をすべく社会の最小単位である「家庭」から壊すという戦略があり、女性の社会進出を促すことで出生率を下げることを狙っていると言われています。

 

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あまりにも行き過ぎた憶測のようにも思えますが、果たしてどうなのでしょうか。

 

まとめると、津田梅子が選ばれた理由は「岩倉使節団に随行したこと」と「社会で大きく活躍した女性であること」とが挙げられます。

 

ロックフェラーと親しく懇談をした渋沢栄一

 

最後に一万円札の新顔の渋沢栄一について探っていきます。

 

 

渋沢栄一は「資本主義の父」とも呼ばれ、みずほ銀行の前身となる第一銀行の頭取を勤めたり、日本銀行の設立に尽力しました。日銀の設立に関わったことは福沢諭吉と共通していますね。紙幣発行権をもつ日銀に関わっていることが選ばれた理由として一番重要なのかもしれません。

 

また、渋沢栄一も同様にフリーメイソンであるという記録がありませんが、驚くことにあの「石油王」といわれたジョン・D・ロックフェラー一世に会い、親しく懇談していました(1909年。オハイオ州クリーブランド市の商工会議所主催の晩餐会において)。

 

そのときの様子は次のように書かれています。

 

 ロックフェラー一世は一風変わった人物で、かつて晩さん会など社交の場に出席したことがなかった。それまでの25年間に宴席に出たのはただ一回。竹馬の友マッキンレー大統領が殺されて、同市で記念祭がおこなわれた際に顔を出したきりであった。だから案内人は「今日は皆さんに感謝してもらわなければならない」とつけ加えるのを忘れなかった。会場に着くと大珍客は接待委員に交じって皺くちゃの梅干顔で一行を迎え、渋沢と食卓をともにし、通訳を通じて歓談した。二人の歓談の内容は経済や経営のことではなく、もっぱら社会慈善事業や学校教育について話し合った。(中略)二人の席から遠くにいあわせた人々、とくに米国人は二人が何を熱心に話し合っているのかと不思議そうに眺めていたそうである。世間ぎらいで通っていたロックフェラーが珍しく出席したのは、おそらく渋沢が日本での大実業家であると同時に大慈善家であることも聞いていて会って話したい気になったのに違いない。

出典:吉田祐二著『日銀/円の王権』/学習研究社刊

 

吉田祐二氏は、ロックフェラー一世に会った日本人は渋沢栄一しかいないだろうといっています。

 

ちなみに渋沢栄一が関わった日銀の設立(1881年)で、ロックフェラーやロスチャイルド家が大株主であるアメリカの中央銀行のFRB(連邦準備銀行)の設立は1913年で、二人が懇談したのは1909年。二人が中央銀行についても話し合ったことは容易に想像ができます。

 

この時渋沢栄一がロックフェラーに何か助言をしたのかもしれません。

 

ちなみに渋沢栄一の孫の渋沢敬三が戦後の日銀総裁を務めています。それほど渋沢と中央銀行の関係性は深いです。

 

ロスチャイルド家の祖、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの有名な

 

「通貨発行権と管理権を私に与えよ。そうすれば誰がどんな法律を作ろうがどうでも良い」

 

という恐ろしい言葉がありますが、その考え方を渋沢栄一が踏襲している可能性もあります。つまり社会を管理するためには通貨発行権を握ることが大事であると。

 

実際に幕末に幕臣だった26歳の渋沢栄一は、幕府使節団に加わって御用商人としてフランスに渡っています。パリ万博を視察するなどしたほか、渋沢は銀行家のフリュリ・エラールから銀行業というもの、近代の金融業というものをこの時学びました。このエラールのボスがアルフォンス・ド・ロスチャイルド伯爵、つまりフランス・ロスチャイルド家の総帥です。

 

この時渋沢がロスチャイルド家の思想に触れた可能性は高いです。

 

それが孫にも継承されているとしたら日銀総裁を務めたということも辻褄が合います。

 

また、どこまでが本当かわかりませんが、渋沢が第一銀行を軸に設立に関わった多くの会社が三井系で、その三井とロスチャイルド家は明治期より関係が深いと言われています。

 

渋沢が設立に携わった三井系企業を挙げると

  • みずほ銀行
  • 澁澤倉庫
  • 太平洋セメント
  • 東洋紡
  • 第一三共
  • デンカ(旧電気化学工業)

などがありますが、それらの三井系企業がロスチャイルド家と関わりが深いというのです。これはいかにもな陰謀論的で、憶測の領域を出ませんが、その可能性も否定できません。

 

ということで渋沢栄一はフリーメイソンではないが、メイソンの重鎮ロックフェラー家やロスチャイルド家とも関わりがあり中央銀行設立に関わったことが紙幣の新顔として選ばれた理由として挙げられるでしょう。

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