ハロウィンはいつ、どのように始まったのかという起源に関して諸説ありますが、その中でも興味深い説を3つご紹介します。
古代ケルト人の悪魔祓い説
まず諸説ある中で最も有力視されている「古代ケルト人の悪魔祓い説」からご紹介します。
古代ケルト人のドルイド信仰では新年を11月1日と定められており、その前夜10月31日、つまり一年の最後の夜は、夏の終わりと冬の始まりを意味し、神へ収穫物を捧げる秋の収穫祭が行われていました。さらにその前夜には死者の魂が家族に会いに来ると考えられていました。日本で例えるなら、お盆と年末が同時にやってくるような感覚でしょうか。
古代ケルト人の中では一年の終わりにはこの世と霊界との間に目に見えない「門」が開くために家族の魂だけでなく、悪霊も一緒にこの世にやって来ると信じられていました。悪霊は、子どもを攫ったり、家畜や農作物に悪さをするので、悪霊
その後、ケルト人はキリスト教のカトリック系民族に侵略されてし
それがキリスト教における11月1日の諸聖者の日(All Hallow’s Day)であり、全ての聖人と殉教者を記念する祝日となりました。そして前夜の10月31日は「All Hallow Evening(諸聖者の日の前夜)」と呼ばれ、「Halloween」または「Hallowe’en」と略され
その古代ケルト人が行って
ちなみにハロウィンにつきもののカボチャのランタン「ジャック・オー・ランタン」はもともとはカボチャではなくカブで、ダメダメな生活を送っていた人の魂が、死後の世界でも受け入れられなかったために、カブのランタンを持ってさまよい歩いている・・・という話だったそうです。
それがアメリカに伝わったときにカボチャに変わってしまったと言われています。
ドルイド教の悪魔への人身生贄説
古代ケルト人が新年前夜と初日を祝っていた祭礼はもともと「サウィン祭」と呼ばれていましたが、サウィン祭には恐ろしい側面もあったと言われています。それが人身を悪霊に捧げていたという話です。古代ケルト人が信奉していたドルイド教の司教が儀式を行い、人間の生贄を悪霊に捧げることで悪霊の脅威から身を守っていたのです。
突き殺した生贄を木に吊るしたり、ワイン樽で溺死させるといったいろいろな生贄方法がある中で最も恐ろしいのが、ウィッカーマンという巨大な人型の檻の中に家畜や人間を閉じ込めたまま焼き殺す方法です。
上の絵をみると巨大な人型の檻に大量の人が閉じ込められていることがわかります。ユリウス・カエサルの『ガリア戦記』やストラボンの『地誌』にもウィッカーマンに関する記載があります。
ある者らは、恐ろしく巨大な像を持ち、その編み細工で編み込まれた肢体を人間たちで満たして、それらを燃やして、人々は火炎に取り巻かれて息絶えさせられるのである。(『ガリア戦記』第6巻16節 Wikipediaより引用)
このような人身御供は、ガリア(古代ケルト人の居住地域)のローマ化によって絶えたと考えられていますが、悪魔祓いの風習は残り、それが今日のハロウィンになったのではないかと思われます。
人間を人知を超えた存在に生贄として捧げるという伝説や伝承は日本にもありますが(ヤマトノオロチ伝説や箱根の九頭竜の伝承)、ガリア戦記などの伝記に書かれているとなると信ぴょう性が高いです。ドルイド教が悪魔崇拝教といわれるのも無理はないと思いますね。
1万2800年前の隕石激突の前夜説
ハロウィンの起源は上で挙げた説よりももっと前からあったのではないかという説もあります。
有史以前のはるか昔、1万2800年前に地球に隕石が激突したのですが、その直前の「最後の夜」が10月31日であったことから、弔いと祀りのハロウィンが行われるようになったとも言われています。つまり古代ケルト人が信仰する「新年の前夜に冥界の門が開かれる」という考えはここから来ていると推測できます。
その隕石の衝突は今日科学者の間では「ビッグ・インパクト」と呼ばれるもので、衝突後に粉塵が太陽を覆い隠し、地球全体が急激に寒冷化しました。当時の地球は氷河期が終わり、温暖化に向かっていたのですが、この衝突により再び氷河期に戻ることになってしまい(ヤンガードリアス期)、この突然の寒冷化現象によってサーベルタイガー等多くの哺乳類が絶滅したと言われています。
この「ビッグ・インパクト」が地球に与えた影響はとても大きく、人間もまた絶滅の危機に瀕するだけでなく、多くの地殻変動が起こることで大陸から日本が完全に切り離され、現在の形である日本列島になったとも言われています。
一方、現存しないある大陸は海に沈むことになりました。それがプラトンが指摘するアトランティス大陸や伝説のムー大陸なのでしょう。アトランティス文明などの超古代文明はこの時の隕石衝突で滅亡したと考える人も少なくありません。
そしてこの寒冷期を境目に西アジアで農業が始まったとも言われ、つまり狩猟生活から定住生活へと移行し、有史における最古の文明、シュメール文明が興りました。
ちなみに11月1日を新年の始まりとする古代ケルト人の信仰以外にも、11月1日と11月2日を「死者の日」とする古代アステカから続くユカタン半島の信仰があります。
11月1日は子供の魂が、2日は大人の魂が戻る日とされ、カボチャを飾り仮装をしてパーティを行うなどメキシコの「死者の日」は、ハロウィンととてもよく似ています。古代アステカ人もまた神に人身御供を行っていたことが大航海時代のスペイン人が残した資料(スペイン人穴教師バルトロメー・デ・ラス・カサス『インディアス文明誌』など)からもわかるように、古代ケルト人と古代アステカ人の信仰は共通点が多いです。
歴史と伝説は異なるものですが、時には伝説が歴史になることもあります。ハロウィンの起源が隕石衝突にあることも伝説の域にとどまらないかもしれません。
以上、3つの説をご紹介しましたが、よくみるとこれらの説はすべて矛盾することなく関連しあっており、点と点で結べば一本の線になります。人身御供や悪魔崇拝が関連しているとなると、今日のハロウィンパーティーには出たくないと私個人は思いますが、それほど壮大な歴史があったことを思うと嘆息してしまいます。
もし、ハロウィンに参加するとしたらこういった歴史があったのかもしれないと、古代に思いを馳せながら参加してみるといいかもしれませんね。