世界で最も気象予測精度が高いといわれるザーコバ教授の予測通り2030年以降にマウンダー極小期のようなミニ氷河期が訪れるとしたら世界はどうなるのでしょうか。
前々回の記事で小氷期の日本はどれほどの寒さだったのかというのをご紹介しましたが、今回はそのヨーロッパ編として欧州における小氷期の様子を絵画や当時の記録などから見ていこうと思います。そして「寒冷化」と「革命」の関係性も見ていきます。
寒冷化によるテムズ川の凍結
過去の記事では何度も触れましたが、1645-1715年はマウンダー極小期といって、太陽の黒点数がほぼ消えて、太陽活動が停滞している期間でした。その当時のロンドンの様子を描いた作品がこれです。
ロンドン、凍ったテムズ川(1677年作)
もちろん現代において年間を通じてテムズ川が凍ることはありません。しかし、この当時の冬はよく凍っていた模様です。
過去の記事でご紹介していますが、このグラフが過去の地球の平均気温の推移です。
中世の温暖期が13世紀で終わり、14世紀から小氷期に差し掛かっています。そしてその中でも寒さが最も厳しかったのが16世紀から17世紀半ばまでの時期で、それは太陽活動が停滞していたマウンダー極小期と一致します。
ザーコバ教授の予測通り2030年以降のミニ氷河期が訪れたら世界はどうなるのかを知るために、前回の小氷期の中で最も寒さが厳しかった16世紀半ばから17世紀半ばまでの時期で、ヨーロッパ各地では何が起きていたのかを振り返ってみましょう。
寒冷化がもたらした「17世紀の危機」
ヨーロッパでは「17世紀の危機」と呼ばれる大混乱が起きていました。16世紀初頭に大航海時代を迎えて世界中に植民地を広げたヨーロッパが突如カオス状態に陥りました。
例えば、フランスのブルボン家とオーストリア・スペインを支配していたハプスブルク家が覇権を争った「三十年戦争」(1618-1648年)。この戦いに参加した国や諸侯の数は両陣営を合わせると66を数え、数だけで言えば世界初の「世界大戦」となりました。この大戦争の結果、ドイツとチェコの人口は3分の2にまで激減し、そのために主戦場となったドイツの近代化は100年遅れたといわれるほどです。
他にもイギリスでは絶対王政を打倒した最初の市民革命である「清教徒革命」(1642-1649)、4~6万人の犠牲者を生み出したといわれる狂気の「魔女狩り」(最盛期は16世紀後半から17世紀にかけて)、「ペスト(黒死病)の流行」(17世紀にヨーロッパ全土で発生)など、様々な動乱によって17世紀のヨーロッパは危機状況に陥っていたのです。その背景には寒さのピークに差し掛かっていた寒冷化という気候変動があったのです。
つまり、天候不順(気温の低下)→凶作→食料不足→栄養不良→疫病の流行という流れが出来てしまいました。さらに大航海によるヨーロッパの「繁栄の16世紀」から一転して17世紀は新大陸からの銀流入の減少に伴う物価下落などで経済は停滞します。
そのような社会変動が、民衆の不満の種となり中世ヨーロッパを支配した絶対王政を倒す清教徒革命に繋がり、ドイツにおける覇権を争う三十年戦争の遠因にもなります。
また、安田喜憲氏の「気候変動の文明史」によれば、マウンダー極小期のヨーロッパの各地では、天候不良によるブドウの不作が起こり、その不満から多くの女性が「天候魔女」の濡れ衣を着せられて処刑されたといいます。
このように全てのことを寒冷化に結びつけるのはこじ付けが過ぎるかもしれませんが、その影響は多かれ少なかれあるでしょう。
以上のような大動乱のヨーロッパにおいては人口が激減しました。もちろん農民も激減し、放棄された土地は貴族と比較的富裕な農民(ヨーマン)が収集し、大規模農営を始めました。それまで王から農地を与えられて成立していた封建制が崩壊し、土地を拡大する資本家が生まれることになりました。これがブルジョワジーの誕生であり、資本主義の始まりです。
皮肉にも、気候変動による「17世紀の危機」は現代にまで続く資本主義の基盤を作りました。
気候変動はそれほど社会を変える影響力を持っているということです。
フランス革命をもたらしたアイスランドの大噴火
小氷期のピークは1715年頃に終わりますが、それでもまだ寒い時期が続きます。そして1783年から1784年にかけて起きたアイスランドのラキ火山の噴火がその寒さに拍車をかけます(ラキ火山近郊のグリムスヴォトン火山でもまた1783年から1785年の間に噴火が起きている)。
その影響で空気中に1億2000万トンもの二酸化硫黄が放出され、西ヨーロッパに広がりました。そのせいで、人々は硫黄化合物のガスを吸い込み、呼吸困難になり、1783年から1784年の冬までの間に何万人もの犠牲者が出ました。
さらに1784年の冬には寒波をもたらし、イングランドに住むギルバート・ホワイトによると氷点下の気温が28日間続いたようで、彼は以下の記録も残しています。
1783年の夏は驚くべき恐ろしき現象の前触れだった。小石が激しく降り注ぎ、雷雨が襲った。独特のもや、くすぶった霧が発生し、数週間にわたって王国の多くの郡を驚かせ、苦しめた。ヨーロッパの他の地域でも同じようなことが何箇所でも起こった。それは異様な風景であり、今までに人類が体験したすべての経験と異なっていた。6月23日から7月20日までの日記を読み返して、私は気付いた。その期間、さまざまな方位から風が吹いたが、その風で空気が入れ替わることは無かった。正午の太陽はまだら模様で、月と同程度の明るさしかなかった。太陽の色は、まるで錆びた土か、部屋の床のようだった。しかし日の出、日の入の際には、燃えるような血の赤色を見せた。気温が上がり、肉屋で売られている肉も2日で駄目になった。蝿が頭にたかるため、馬は半狂乱になり、言うことを聞かなくなった。人々は太陽の怒りによるものだと迷信的になった; […] — Gilbert White – The Natural History and Antiquities of Selborne, Letter LXV (1789).
-引用元:Wikipedia「ラキ火山」
噴火直後(6月ごろ)は猛暑で、その後の冬は大寒波だったようです。その寒さでイギリスだけで約8000人が亡くなったとされています。
フランスでは1785年から連続して食糧不足になりました。特に1788年は冷害による酷い凶作で、経済的には恐慌を来たしましたが、この飢饉による人々の苦しみは翌年89年のフランス革命に繋がります。
これらのことから気候変動(寒冷化)や天変地異に伴う食糧難(飢饉)は、既得権益者による政治システムを転覆させるような革命に繋がることを歴史が教えてくれています。
ザーコバ博士の予測通り今後2030年以降に寒冷化が来るとしたら、世界のシステムそのものを転覆させるような動乱期になるでしょう。2018年以降始まったフランスでの既得権益者(グローバリスト=多国籍企業とそれに群がる政治家)たちに抗う「イエローベスト運動」は先んじてそれを示しているのかもしれません。
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