【閲覧注意】日本人大虐殺「通州事件」の実態を解説【闇の歴史】

1937年7月29日、中国人部隊が日本人を奇襲、大虐殺した「通州事件」をご存知でしょうか?日本人居留民225名に加えて日本軍守備隊32名の計257名が尋常ならざる残酷な方法で殺されました。

 

「ある者は耳や鼻を削がれ、女性は陰部に丸太を突き刺され、乳房は削がれ、ある者は鉄線で数珠つなぎにされ池に放り込まれた」

 

というもので、当時の日本を震撼させた事件なのですが、これは歴史の教科書には載らない、いわば闇の歴史のため語られることはあまり多くはありません。

 

しかし、日本人であればこの残虐な事件を知っておいたほうがいいと私は思います。なぜならこの事件がシナ事変、いわゆる日中戦争に導いていった事件の一つですから。

 

今回は事件の背景と内容、そしてその残虐性が一目でわかる写真をご紹介します。

 

動画Verはこちら(ブログ記事と動画は内容がほとんど同じなので、文章か動画かお好きなほうをご覧ください)

 

通州事件とは

 

簡単に通州事件について説明すると、中国の通州で冀東(きとう)防共自治政府保安隊(中国人部隊)が突如として日本軍の通州守備隊・通州特務機関及び日本人居留民を襲撃・殺害した事件です。

 

通州事件を初めて報じた号外(「東京日日新聞」 昭和12年7月30)

 

通州は日本寄りの自治政府で、南京政府から独立した冀東防共自治政府が置かれていました。日本は当時、冀東防共自治政府の保安隊を「友軍」とみなしていたのですが、その友軍に惨殺されてしまったのです。

 

 

なぜそのようなことが起こったのでしょうか?

 

通州事件の背景

 

通州事件の前から日中の間で緊張が高まっていました。盧溝橋事件(1937年7月7日)で日中の軍同士の衝突があり、結局和平協定が結ばれましたが、その後も7月25日の郎坊事件、7月26日の広安門事件と中国側による挑発が立て続けに起こっていました。

 

当時日本の近衛内閣は不拡大方針を掲げていて、中国と戦争する気は全くありませんでした。中国の国民党のトップ蒋介石もまた元々は親日で、日本と戦争する気はなく、軍閥が割拠していた中国国内を統一するための「北伐」に心血を注いでいたのですが、その北伐完了の目前で急に方針を転換し、北伐を放棄、そして反日に急変しました。

 

なぜ蒋介石がそのように態度を急変し、反日に転じたのかは別の記事で深堀します。

 

なにはともあれ、不拡大主義を貫いていた近衛内閣は立て続けに起こる中国の挑発事件に日本国民が怒っているので、強い報復感情を受け方針選択を悩み決めかねていました。この間に現地の状況は急速的に悪化し、撤退のタイミングを失い、遂に本格的に日本軍を投入せざるを得なくなったのです。こうしてシナ事変、いわゆる日中戦争が始まりました。

 

通州事件は日本国民を怒らせ、国民感情を戦争へと導く役割を果たすには、十分すぎるくらい残酷な事件だったのです。

 

目撃者が語る残虐非道な殺人方法

 

では通州事件では具体的にどれほど残虐非道なことが行われたのでしょうか。

 

良心的な米国人記者が通州事件を記していますのでそれをご紹介します。

 

「私が住んでいた支那北部の通州市に二百名の日本人男女と子供たちが住んでいたが皆殺された。二十名はほんの子供のような少女だった。家から連れ出され、焼いたワイヤーで喉を繋がれ生きたままつりさげられた。その身体を支那兵が銃弾で穴だらけにした。通州の日本人大虐殺は歴史上最悪の集団屠殺として記録されるだろう。それは七月二九日の明け方から始まり一日中続いた。女子供は男と共にゆっくり拷問にかけられた。手足を切断され死体は男女の区別もつかなかった。何時間も女子供の悲鳴が家々から聞こえた。支那兵が強姦し拷問にかけていたのだ。支那人たちは焼けたワイヤーを鼻から喉へと通し、両耳を叩いて鼓膜を破り、彼らの助けてくれ、の叫びを聞こえなくした。若い女は目玉をえぐり出し拷問者の顔を見られなくして強姦した

抜粋要約「中国の戦争宣伝の内幕」日中戦争の真実」F・V・ウィリアムズ著 芙蓉書房出版。

 

生々しい表現で、想像するだけで恐ろしい内容です。

 

また、戦後の東京裁判でも通州事件に関する証言があります。

 

東京裁判における証言一

救援にあたった当時天津歩兵連隊長だった萱島高証人「通州の城内は実に凄惨なもので、いたるところに日本居留民の死体が横たわっていました。ほとんど全部の死体には首に縄がつけられていました。がんぜなき子供の死体や婦人の虐殺死体はほとんど見るに堪えませんでした。その記録は今日ありません。したがって私は私の目撃したことを主として記憶を辿り左に陳述します。しかしそれは余りにも残酷でありましたので、私は一生忘れることはできない印象となって頭に残っております。旭軒では四十から十七、八までの女七八人が皆強姦され、裸体で陰部を露出したまま射殺されており、その中四、五名は陰部を銃剣で突き刺されていました。商館や役所に残された日本人男子の屍体はほとんどすべてが首に縄をつけてひきまわした跡があり、血潮は壁に散布し、言語に絶したものだった

 

「大東亜戦争への道」中村粲著 展転社から以下抜粋要約。

 

東京裁判における証言二

 

当時第二歩兵連隊隊長代理を務めた桂鎮雄証人「旅館錦水楼では帳場配膳室に男一人女二人が横に倒れていた。闘った後は明瞭で、男は眼玉をくりぬかれ、上半身は蜂の巣のようだった。その裏の日本人の家では親子二人が惨殺されていた。子供は手の指をそろえて切断されていた。南城門近くの日本人商店では主人らしき人の屍体が路上に放置してあったが胸や腹の骨が露出し内臓が散乱していた

「大東亜戦争への道」中村粲著 展転社から以下抜粋要約。

 

このように残虐な事件が歴史の闇に葬られていることは「ある意図」を感じざるを得ません。

 

戦後、中国とGHQはシナ事変(日中戦争)の原因を盧溝橋事件としていますが、それはこの通州事件を覆い隠すためのプロパガンダと言っても過言ではありません。そして当時の日本は不拡大方針であったのにもかかわらず、挑発を続け、戦争へと誘い込み、それを日本による「侵略戦争」と位置づけ、中国を被害者、日本を加害者という分かりやすい構図を作ったのも、中国とGHQによるプロパガンダです。日本を貶めるための自虐史観です。

 

戦後から現在まで日本はこの自虐史観から脱却できていないというのは言うまでもありません。

 

 

閲覧注意:通州事件の現場写真

 

グロテスクな写真ですので、そういうものが苦手な人は見ないほうがいいです。

 

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見るに堪えない光景です・・・。

 

東京裁判の証言通り、陰部に銃剣が刺されている写真もありますね。

 

これほどのことを本当に同じ人間にできるのでしょうか。

 

しかもこれらの写真の一部は南京大虐殺記念館に紛れていると聞きます。そして南京大虐殺というデマ(と私は考えています)を利用して、中国は日本に揺さぶりをかけ、謝罪を要求とともにODA(政府開発援助)を通して日本に支払らわせている総額は、6兆円にものぼっています。ODAの一部は国民の血税です。

 

南京大虐殺をデマと考える根拠の記事

↓↓↓

11枚の写真が物語る「南京大虐殺」の実態【教科書には載らない】

 

 

通州事件という恐ろしい日本人ジェノサイドがあったことを知らされずに、ありもしない「南京大虐殺というデマ」を通して「帝政日本=一方的な加害者」という自虐史観を教え込まれる学校教育。

 

日本はむしろ不拡大方針で戦争を望んでいなかったということと、日本人もまた被害者であるということは、反中を煽るためではなく、事実は事実として世界中に知らしめるべきだと私は思います。

 

そうでないとなぜ日本が戦争に踏み切ったのかという背景が分かりませんし、無残な殺され方をした日本人が浮かばれません。また、これは日韓併合期の事件なので、朝鮮人もまた日本人と同じように残酷な殺し方をされました。

 

戦争に正義も悪もありません。日本も中国も朝鮮も被害者であると同時に加害者でもあるのです。そういった客観的な視点を現代の人々は共有する必要があります。過去の過ちから学んでこそ平和な世界をともに作れるのです。

 

実際はそうではなく、日本が絶対悪に仕立てられている現状です。その状況を変えるためにも通州事件を日本だけではなく世界に広める必要があります。

 

 

次回は蒋介石がなぜ中国統一を目前にして放棄し、日本へ攻撃し始めたのかということを深堀りしていこうと思います。蒋介石の裏にはソ連という大国、そして恐怖の独裁者スターリンの存在がありました。これもまた歴史の教科書には載らないことです。

 

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